2013年2月12日火曜日

筆不精

最近、ブログに全くアクセスして無かった。
というか、レポート以外で長めの文章書くとか久しぶりすぎる。
てか、いま、レポート積んでるのに、早く寝た方がよっぽどいいのに、こんなことしているのはなぜだろう。


えっと、最終更新日はいつ?.



2012年11月3日かー

思っていたよりも昔じゃないかも。

それからあったことを、まとめてみようかと思います。いっそのことだし。


 過去を振り返るのも時には必要。



たしか、最終ポストの一週間後に金沢で行われた大学のオープンキャンパスにゲストとして参加した。エクセルホテル東急でやったと思う。

同じ大学の卒業生で北陸に住んでいる人と交流できて楽しかった。やっぱりああいう繋がりって貴重だなーと思った。



その次の週?にたしか、父が亡くなったんだと思う。
たぶん。


朝5時くらいに東京で寝ていたら電話がかかってきて、「危篤」みたいな感じでね。
ま、内心もう間に合わないかなーとか、間に合ってもどうしよーとか思いながら自転車に飛び乗ったさ。スーツを持って出たのは我ながら機転が利きすぎてると思う。


最寄駅で新幹線のチケットを買ったんだけど、その時本来早いはずの東海道まわりを買わず、
いつものノリで上越経由を買ったのは内心がなせる業かなと思う。

で、中央線に飛び乗って、朝日がきれいだな~とおもった。

実際かなり綺麗だった。

阿佐ヶ谷あたりについたころかな、また携帯がなった。

「あーあー」と思いましたね。

うん、死亡のお知らせでした。

なんか、悲しくなかったけど、目が潤った。優先座席に座った。
別に座ってもいいよね?って思った。


東京駅からあせあせと乗り換え、新幹線に乗り、越後湯沢で乗り換えた。
金沢までは長かった。
いつも通り。

ま、そこからは超忙しくて、妙に疲れる日々だった。まじ、お葬式ってどうにかしてほしい。
親族が一番疲れる。特に近しい人が。

でも遺言(僕が父に書いてもらっていた)に葬式の形式が指定されていたから、
かなり楽だったと思う。

母は人が来るたび泣いていた。


僕も出棺のときはなんか、雰囲気にのまれて泣いてしまった。
泣くしかないっしょ。みたいな空気(笑)

泣くって体力つかうけど、とてもすっきりする行為だなと思った。

ほんと泣きたいときは泣くしかないぜ。


泣きたくなくても泣いた方がいいかもね。


でも、いま思えば、なぜ泣いたのかわからないな、と思う。

悲しかった?

いや


さみしい気持ちで?

いや


悔しさ?

なぜ?ちがうでしょ


自分が哀れだから?

違う気がする(それは自分ではよくわからないことだと思うが)



答えは見えないなぁ。

 そんなこんなで秋学期は終わり、成績はぼろぼろ。大学の仕組みどうにかしてほしいw

ま、しょうがないと思うけど。 

ちょっと長くなってしまったから、この辺で筆をおこうと思う。

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